本ブログのタイトルは、徒然草第52段「仁和寺にある法師」の最後の一言からいただきました。
中学校の頃、国語の先生に古文や漢文を暗記する課題をよく出されておりました。物覚えの悪くなった今と違い、文章を記憶するのが好きだった当時の私は、いち早く覚えて、先生の前で発表するのを楽しみにしていました。その中でも特によく覚えているのがこの 「仁和寺にある法師」 です。
全文暗記できるほどの短い文なので、全文紹介します。しかし、今思うとよくこれを覚えたなぁ。
仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。
簡単に意味をお話しするとこんな感じです。
仁和寺の法師が石清水八幡宮に一人で参拝しに行ったのですが、極楽寺と高良神社に参拝して帰ってきました。それより上のほうに周りの人が登っていくのを不思議に思いながら。要は、メインの山の上の神社に行かずに帰って来てしまったんですね。
そこで、吉田兼好は最後に「ちょっとしたことでも案内人はいたほうがいいよね」と言うわけです。
そんな感じで、誰かの役に立つ情報をつれづれなるままに書けたらいいなと思っております。
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